2015年、ノーベル平和賞にチュニジアの民主化に対して活躍した
チュニジアン・ナショナル・ダイアログ・カルテット」を構成する4つの団体が選ばれました。

そのことで、中東の民主化運動である「アラブの春」についての話題が
挙がっていたので、アラブの春とはどんな運動だったのか気になってみたので
調べてみました!

また、アラブの春はどのような原因で起こったのか、
解説をまとめてみました。

さらに、アラブの春には、SNSなどインターネットも大きな影響を
与えたという事だったので調べてみました。

最後に、アラブの春のその後についても書いていきます。


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アラブの春とは?基本情報をまとめてみた!

まずは、アラブの春とは何なのか、基本的な情報についてまとめていきます!

アラブの春とは、中東の民主化運動のことで、
2010年末から2012年に渡って起こった運動のことなんだとか。

この運動は、チュニジアで始まり、
政権への不満や、若者の失業率の高さなどから
チュニジア全体に広がっていきます。

チュニジアでの運動を「ジャスミン革命」と言いますが、
その運動は、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンなど
アラブ諸国へ次々と広がっていくことになります。

この、アラブ諸国で次々と起こった運動のことを、
総称して「アラブの春」というようです。

アラブの春 とは

2015年、ノーベル平和賞を受賞したのは、
そんな「アラブの春」によって不安定になっているアラブ諸国で活躍した、
チュニジアの労働組合など4団体でした。

このノーベル平和賞受賞がきっかけになり、
アラブ諸国の安定が訪れるといいですね。

アラブの春の原因など解説まとめ!

次に、アラブの春はなぜ起きたのか、
その原因についてです。

チュニジアでのジャスミン革命を皮切りに、
エジプト、リビアと次々に運動が勃発したのはなぜなのでしょうか?
解説をまとめていきます。

1つの原因として、多くの国民が貧しかったことが挙げられます。

チュニジア、リビアなどはGDPの値を見れば豊かな国ですが、
権力者がその富を独占したため、国民は貧しかったのです。

そのため、国民の不満が溜まったのでした。

次に、運動が広まっていった原因として、
テレビの報道が挙げられます。

アラブ圏のメディアの多くは政府の統制下にあり、
政府にとってマイナスになる情報は規制されていました。

しかし、本社がカタールにあるニュース放送局が、
各国で規制されるような内容を報道できるメディアを作り上げたのです。

そのことによって、革命運動の流れは
アラブ諸国の国民に広がっていきました。

ここまでの解説のまとめですが、
要するに、「国民の不満」と
それを広げる「テレビ」という2つの存在があったからこそ
ここまで「アラブの春」という運動が広がったのだという事ですね。

アラブの春にSNSやインターネットが影響を与えていた?

さらに、「アラブの春」に影響を与えていたものとして
SNSが挙げられます。

SNSは「アラブの春」にどのような影響を与えたのでしょうか?

先ほどは、テレビによって「アラブの春」の運動が広がったと言いました。

テレビの人は広く一般にアラブ諸国の民に対してアプローチされましたが、
SNSは、革命の初期段階の火種を広めたエリート層の間で使われていたそうです。

ツイッターやフェイスブックが革命に使われる時代だとは、
本当に昔との違いを感じますね。



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アラブの春のその後の話も!

最後に、アラブの春のその後の話をしていきます。

ニュースには、
チュニジアだけアラブの春が成功している

なんていう記述もあります。

どうやら、チュニジア以外の国は、
多くの民主化運動が頓挫しているそうです。

エジプトでは、国民ではなく逆に軍部が
クーデターを起こし、民主化と逆の方向に進むなどしているらしいです。

なぜチュニジアの民主化が上手くいっているのかと言うのは、
チュニジアの経済状況が関係している確率が高いそうです。

1人当たりのGDPを見てみると、
チュニジアはエジプトよりも豊かなんだとか。

さらにチュニジアのほうがエジプトよりも
圧倒的に人口が少ないです。

こういうところに、チュニジアの民主化の進めやすさというのが
あったのかもしれませんね。

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!



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